ここ最近感じている「平等と公平」について

あるいは価値の最大化

世の中は分断社会、という話を聞いています。

我が国では内閣府令により5月1日を境に時代が分断されました。その他にも世代格差といった縦の格差、雇用格差や各種マイノリティの社会格差の顕在化といった横の格差の問題もあります。はたまた労働人口の減少を経済移民で補うようになれば出身国格差も顕在化しそうです。

格差ってなんだろう

天は人の上に人を造らず人の下に人を造らず は、旧一万円札となってしまった福沢諭吉先生の本の書き出しと知られていますがその後に続く 学問を勤めて物事をよく知る者は貴人となり富人となり、無学なる者は貧人となり下人げにんとなるなり という一句はあまり知られてないのではないでしょうか。 この自己啓発本は当時ベストセラーだったようで、今現在売られている本も大体こんな論調ではあります。 そして、人としての権利は平等だが、各々の努力に対する結果は平等であってはならない(すなわち、能力に応じて公平に分担しなければならない)という論調にもつながりますね。

とまあ、こんな感じのことを最近考えていたりしていますが、それには個人的な心境もあったりします。

価値ってなんだろう

財物の価値は効用(人々が持つ欲望と理解してもいい)をどれだけ充足するかによって決まると学んだ気もします。その考え方に則れば、事業主の利益を最大化することによって労働者としての価値が高まり、また、恋人や家族の幸福を最大化することによってパートナーや父母の価値が高まるといえるでしょう。しかしながら、これらの価値はどのように測定すればいいのでしょうか。前者を賃金+福利厚生+その他人事施策といった対価を基準に、後者をその恋人や家族からの感謝や愛を基準に測定することもできそうです。一方で、成果報酬ではなく終身雇用を前提とした固定賃金とあっては価値測定の指標としては不適格であり、ましてや恋人や家族に経済合理性に則った公平な対価を求めるのは現実的ではありません。

私自身、今の業務内容が本当に価値あるものなのか考えることがあります。ですが、その時に必ず前職のことを思い出して「今の方向性は間違っていない」と自分に言い聞かせています。

会社に「大損害」を与えた新人

「価値」を追求するということ

一方で、今の職場は退職希望者を厳しく叱咤したという噂は聞かないですし、何よりチームの連帯がしっかりしてるので当分前の様な悩みに直面することはなさそうです。特にうれしかったのが、アサインされているPJの報酬が上がったという話を聞いた時ですね。確かに、前職では雇い主に大損害を与えましたが、それを上回る利益を現職で創出すれば社会全体にとってその退職は善行であるはずです。

と、話が表題から大きくずれてしまいました。 一連の結論として、現実に格差があって平等でないと思ったら、社会的なポジションから見ても公平でないか比較検討するべきです。もしも社会的に見て公平な格差だなと思ったら、他の場所で力を発揮できないか模索するのもいいでしょう。また、社会的に見ても公平ではないと思ったら、今の自分は変えずに周りを変えていくしかないので大変ではあります。

結局のところ、事業主や他者への貢献も自己啓発の観点からすれば手段であって目的ではありません。今の相手に思うような価値を提供できていないと悩んだら、他にそれ以上の価値を与えられる相手を探せばいいだけです。